カウンセリングの「DOINGとBEINGの相互性」   

 5月28,29で、(社)産業カウンセラー協会の全国大会に参加しました。横浜パシフィコの大ホールに全国から大勢のカウンセラーが情熱を持って集われていました。基調講演をされた伊藤忠商事の丹羽会長、奈良女子大学の川上教授のお話に、とても励まされました。d0027507_0445573.jpg

 企業のカウンセリングルーム・相談室、また私のセラピールームにおいても、健康な方へ(が少しつまづいた時や心が疲れた時、点検のため)のカウンセリングという場所に、ワンサカと相談者がくることはそうないように思います。少しづつ浸透してくれ、ジワッと存在価値の大きさを世にひろめたい!とはいうものの、来談者の数で力量をはかられ存在価値を意味づけられたら、自分の力不足ゆえと、落ち込むのがカウンセラーの皆さんではないですか?という、先生は謙虚謙遜ですが寛大に語られた川上教授の言葉が自分の葛藤をスーッと溶かしてくれました。

 日々自分の力量の未熟さを思うのは当然で、数々の勉強会にも参加しつつ、相談にこられたバリバリの女性社長さんに「あなた、カウンセリングすごい上手ね!」とひとときの相談でこんな客観的な切替ができるほど立ち直ってくだることもあり、聴かせていただいた冥利につきます。 そして、いらして頂いた数はDOINGであり、いてくれていると思う安心感、いざとなったら行く場所があるというBEINGの重要性を再認識した講演でした。

 丹羽会長も会社に相談室をつくられ、必要ないという役員はいてもご自身で決定されたわけですが、相談室に行く人数よりも、社員の皆様方が、何かあったら相談する場所がある会社で働いているという安心感、会社が社員を守ってくれている、その社長への信頼というBEINGは、計り知れない価値があるということを、大きく思いました。

 数でカウンセリングの普及を、と思うことも確かですが、今回の溜飲が下がるような力づけの言葉と実際に行動を起こされていらっしゃる先生方を前に、私も微力ながら「カウンセリングのBEINGの重要性」を訴え、ご理解を増やし、導入していただきたい、個人でも気楽に使っていただきたい!と強く思うのです。自殺者は増加の一途です。交通事故者の3倍というのは、すぐ亡くなられた方だけですから、未遂やその後を含めたら莫大な数なのです。
 遠くに住んでいた私の叔父が50才で命をたち、娘2人・奥さん・両親も残したほどの心の苦しみはなんだったのか。前日まで全員でいたのです。カウンセリングは自分のためでもあり、体験されてその力を知っていただくと、回りの人の気持ちの変化や会話の心使いで、食い止められると思うのです。就職、転職、離婚、プチうつも、自分の心のオリを全く気兼ねなく話すだけで良い方向へ向かうことが多くあるのです。

 川上先生が、ご自分の相談室にこられた方が、先生で良くなったわけじゃなくて、ここに来る間の森や木に癒された、と言われたと。これは全く謙遜でいらっしゃいますが、セラピーとセラピーをつなぐ期間中、先生がいてくれる、という「きずな」が治していくということに深く共感いたしました。心の回復・人間の回復は「会話(言うことも、言い合わなくても)」によるきずなが育むのだと思うのです。

 会話心理学の講座で、皆様と探求し、[人も自分も力づける会話]をしっかり筋肉にしていきたいと思っています。
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# by kireijuku | 2005-06-03 10:55 | 産業カウンセラー

ドリアンの気づき   

バリ島で嬉しいことのひとつは果物の王様といわれるドリアンが安~く食べられることです。収穫時期には村の通りで買えますが、スーパーに出る時もあり美味しそうなものにあたればラッキーです。ニオイがものすごいので、ホテルへは持ち込み禁止なのですが、こっそり皆の視線も無視してロビーを突破します。d0027507_4491127.jpg 
 
 イガイガの外側をパカッと割ると中がお部屋に分かれていて、そこにバナナよりもねっとりした実が美しく並んでいます。口に含むと至福の味わいに無言のままむさぼるように種までしゃぶりつくし、いじきたなく、まだ実がないかと探したり…。

 という私ですが、1回目に友人宅で出された時は、もう置いてあるときからニオイがすごく台所のゴミが発酵したようで、どうにか口に入れるともう卒倒状態でした。2回目に食べた時からは、この世のものとも思えない美味の虜に!1回目の私に起こっていたのは、ニオイが概念を強力に生み出し、味わうまでもなく、今そこにある味を味えなかったということです。

 2回目は美味しそうに食べる友人をみて学習し挑戦した結果、ニオイを払拭するほどの美味しさがニオイから連想する味の概念に勝ったわけです。今を食べられたのです。1回でやめていたら、ドリアンは臭くて食べられない、という人生でした。
 
 こんなことって、まわりの人間関係や、したいと思うことや、着たいと思う服や、自分のゼイ肉に関しても起こっているように思います。突破する分岐点を勇気で超えたものだけが味わえる醍醐味という大げさな言い方をすれば、臆病な私もささやかながら超えることを覚えた10年くらい前の出来事です。「本当のことは目には見えないんだよ」と言った星の王子様の言葉を思い出します。
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# by kireijuku | 2005-05-13 10:00 | 産業カウンセラー